2019年04月29日

庄内平野の水源となり多くの恵みを与えてくれる母なる山鳥海山


庄内平野の水源となり多くの恵みを与えてくれる母なる山鳥海山

今日の鳥海山はいつにも増して、なんと美しい!

  


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2019年04月24日

「ああ、たのしいな」「ああ、うれしいな」って思う







         人生は心であり、観念であります。これこそが、あなた方の人生を極楽にもし、
         また地獄にもすることができうる、唯一のものなんです。
         いいですか、よく考えてください。「極楽だ、地獄だ」と感じているのは、
         あなた方の心でしょう。

         あなた方の心が地獄だと感じれば地獄になってしまうんですよ、
         あなた方の人生が。
 
         ですから何かがあれば、「ああ、たのしいな」「ああ、うれしいな」って
         思うようにすればいいんですよ。

         中村天風




         道(タオ)というのは、とても微妙な働きのものだ。

         けれども、とても明らかなんだ。

         世の中がどんなふうに動いているかが、道(タオ)の中から見えてくる。

         勢いづいているものは、さらに勢いづかせると、早くしぼむことになる。

         強大な権力には、もっと強い力を持たせると、いっぺんに崩れ去る。

         流行しているものは、もっと流行らせればたちまち消えてしまう。

         だからもし、手に入れたいものがあったら、たっぷりと与えることさ。

         柔らかなものが固いものに勝ったり、弱い者が強いものに勝ったりするのも

         みんなこの道(タオ)の微妙な働きからくるのさ。

         それは、やさしいやわらかな光なんだよ。

         どんな力にもまさる・・・


                      タオ-老子 加島 祥造
  


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2019年04月23日

敗北こそ成功へのパスポート



霞む鳥海山  鳥海山に種まき爺さんが現れ始めました。 庄内平野の農作業が始まっています。



500人以上にのぼる成功者が口をそろえて私に語ったこと、
『大きな成功というものは、人々が敗北感に屈して
しばらく経ったときにやってくるものである』ということだ

敗北とは本当にいじわるなもので、
皮肉な『ペテン師』のようなものである
このことをあなたは肝に銘じておくべきだ

そしてこの『ペテン師』は、成功の一歩手前で人々を
挫折させることを、何よりも喜びとしているのである

              ナポレオン・ヒル




















『やろう』と思う強い意志は、これまで行ってきた行動の回数と、
その時の決意の強さによって決まります。
そして行動にかかるたびに、人間の脳は成長します
そうなった時、本当の信念が生まれるのです

せっかく決心しても、また美しい気持ちを抱きかけても、
実を結ぶことなく立ち消えになってしまっては、
その損害は、機会(チャンス)を失った時よりはるかに大きいでしょう

その人の将来の目的の達成が遅れてしまうし、
心の冷たい人になってしまうからです

口先だけなら、だれでも強そうなことが言えます。
でも実際にその場で発揮できる勇気は、
いつの場合でも十分では有りません
私たちは勇気が毎日少しづつ蒸発するにまかせているからです

              ヘレン・ケラー


         


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2019年04月22日

Stay Hungry. Stay Foolish. スティーズジョブズのスピーチその三





私は17歳のときに「毎日をそれが人生最後の一日だと思って生きれば、その通りになる」という言葉にどこかで出合ったのです。それは印象に残る言葉で、その日を境に33年間、
私は毎朝、鏡に映る自分に問いかけるようにしているのです。「もし今日が最後の日だとしても、今からやろうとしていたことをするだろうか」と
「違う」という答えが何日も続くようなら、ちょっと生き方を見直せということです。

自分はまもなく死ぬという認識が、重大な決断を下すときに一番役立つのです。
なぜなら、永遠の希望やプライド、失敗する不安…これらはほとんどすべて、死の前には何の意味もなさなくなるからです。

本当に大切なことしか残らない。

自分は死ぬのだと思い出すことが、敗北する不安にとらわれない最良の方法です。
我々はみんな最初から裸です。自分の心に従わない理由はないのです。


1年前、私はがんと診断されました。朝7時半に診断装置にかけられ、膵臓(すいぞう)に明白な腫瘍が見つかったのです。私は膵臓が何なのかさえ知らなかった。医者はほとんど治癒の見込みがないがんで、もっても半年だろうと告げたのです。医者からは自宅に戻り身辺整理をするように言われました。つまり、死に備えろという意味です。これは子どもたちに今後10年かけて伝えようとしていたことを、たった数カ月で語らなければならないということです。家族が安心して暮らせるように、すべてのことをきちんと片付けなければならない。別れを告げなさい、と言われたのです。

一日中診断結果のことを考えました。その日の午後に生検を受けました。のどから入れられた内視鏡が、胃を通って腸に達しました。膵臓に針を刺し、腫瘍細胞を採取しました。鎮痛剤を飲んでいたので分からなかったのですが、細胞を顕微鏡で調べた医師たちが騒ぎ出したと妻がいうのです。手術で治療可能なきわめてまれな膵臓がんだと分かったからでした。

人生で死にもっとも近づいたひとときでした。今後の何十年かはこうしたことが起こらないことを願っています。このような経験をしたからこそ、死というものがあなた方にとっても便利で大切な概念だと自信をもっていえます。

誰も死にたくない。天国に行きたいと思っている人間でさえ、死んでそこにたどり着きたいとは思わないでしょう。死は我々全員の行き先です。死から逃れた人間は一人もいない。それは、あるべき姿なのです。死はたぶん、生命の最高の発明です。それは生物を進化させる担い手。古いものを取り去り、新しいものを生み出す。今、あなた方は新しい存在ですが、いずれは年老いて、消えゆくのです。深刻な話で申し訳ないですが、真実です。

あなた方の時間は限られています。だから、本意でない人生を生きて時間を無駄にしないでください。ドグマにとらわれてはいけない。それは他人の考えに従って生きることと同じです。他人の考えに溺れるあまり、あなた方の内なる声がかき消されないように。

そして何より大事なのは、自分の心と直感に従う勇気を持つことです。あなた方の心や直感は、自分が本当は何をしたいのかもう知っているはず。

ほかのことは二の次で構わないのです。

私が若いころ、全地球カタログ(The Whole Earth Catalog)というすばらしい本に巡り合いました。私の世代の聖書のような本でした。スチュワート・ブランドというメンロパークに住む男性の作品で、詩的なタッチで躍動感がありました。パソコンやデスクトップ出版が普及する前の1960年代の作品で、すべてタイプライターとハサミ、ポラロイドカメラで作られていた。言ってみれば、グーグルのペーパーバック版です。グーグルの登場より35年も前に書かれたのです。理想主義的で、すばらしい考えで満ちあふれていました。

スチュワートと彼の仲間は全地球カタログを何度か発行し、一通りやり尽くしたあとに最終版を出しました。70年代半ばで、私はちょうどあなた方と同じ年頃でした。背表紙には早朝の田舎道の写真が。あなたが冒険好きなら、ヒッチハイクをする時に目にするような風景です。その写真の下には「ハングリーなままであれ。愚かなままであれ」と書いてありました。筆者の別れの挨拶でした。ハングリーであれ。愚か者であれ。私自身、いつもそうありたいと思っています。そして今、卒業して新たな人生を踏み出すあなた方にもそうあってほしい。

Stay Hungry. Stay Foolish.

Thank you all very much.  


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2019年04月21日

「Stay hungry. Stay foolish. 」 2005年スティーブ・ジョブズのスピーチ・その二


               


私は若い頃に大好きなことに出合えて幸運でした。共同創業者のウォズニアックとともに私の両親の家のガレージでアップルを創業したのは二十歳のときでした。それから一生懸命に働き、10年後には売上高20億ドル、社員数4000人を超える会社に成長したのです。そして我々の最良の商品、マッキントッシュを発売したちょうど1年後、30歳になったときに、私は会社から解雇されたのです。自分で立ち上げた会社から、クビを言い渡されるなんて。

実は会社が成長するのにあわせ、一緒に経営できる有能な人材を外部から招いたのです。最初の1年はうまくいっていたのですが、やがてお互いの将来展望に食い違いがでてきたのです。そして最後には決定的な亀裂が生まれてしまった。そのとき、取締役会は彼に味方したのです。それで30歳のとき、私は追い出されたのです。それは周知の事実となりました。私の人生をかけて築いたものが、突然、手中から消えてしまったのです。これは本当につらい出来事でした。

1カ月くらいはぼうぜんとしていました。私にバトンを託した先輩の起業家たちを失望させてしまったと落ち込みました。デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会い、台無しにしてしまったことをわびました。公然たる大失敗だったので、このまま逃げ出してしまおうかとさえ思いました。しかし、ゆっくりと何か希望がわいてきたのです。自分が打ち込んできたことが、やはり大好きだったのです。アップルでのつらい出来事があっても、この一点だけは変わらなかった。会社を追われはしましたが、もう一度挑戦しようと思えるようになったのです。

そのときは気づきませんでしたが、アップルから追い出されたことは、人生でもっとも幸運な出来事だったのです。将来に対する確証は持てなくなりましたが、会社を発展させるという重圧は、もう一度挑戦者になるという身軽さにとってかわりました。アップルを離れたことで、私は人生でもっとも創造的な時期を迎えることができたのです。

その後の5年間に、NeXTという会社を起業し、ピクサーも立ち上げました。そして妻になるすばらしい女性と巡り合えたのです。ピクサーは世界初のコンピューターを使ったアニメーション映画「トイ・ストーリー」を製作することになり、今では世界でもっとも成功したアニメ製作会社になりました。そして、思いがけないことに、アップルがNeXTを買収し、私はアップルに舞い戻ることになりました。いまや、NeXTで開発した技術はアップルで進むルネサンスの中核となっています。そして、ロレーンとともに最高の家族も築けたのです。

アップルを追われなかったら、今の私は無かったでしょう。非常に苦い薬でしたが、私にはそういうつらい経験が必要だったのでしょう。

最悪のできごとに見舞われても、信念を失わないこと。

自分の仕事を愛してやまなかったからこそ、前進し続けられたのです。
皆さんも大好きなことを見つけてください。仕事でも恋愛でも同じです。
仕事は人生で一番大事です。やりがいを感じることができるただ一つの方法は、すばらしい仕事だと心底思えることをやることです。
そして偉大なことをやり抜くただ一つの道は、仕事を愛することでしょう。
好きなことがまだ見つからないなら、探し続けてください。

決して立ち止まってはいけない。

本当にやりたいことが見つかった時には、不思議と自分でもすぐに分かるはずです。
すばらしい恋愛と同じように、時間がたつごとによくなっていくものです。

だから、探し続けてください。絶対に、立ち尽くしてはいけません。




  


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2019年04月20日

桜が満開




良い運命の主人公になりたかったら、
心の中に感謝と歓喜の感情を持つことだ。
感謝と歓喜に満ちた言葉と行為は、
人生の花園に善き幸福という実を結ぶ。

中村天風  


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2019年04月19日

「Stay hungry. Stay foolish. 」 2005年スティーブ・ジョブズのスピーチ・その一







アイフォンやアイパッドいまやなくてはならないツールを創り上げた偉大な創業者のメッセージの一部です。
彼がいなければアニメーション制作のピクサーも存在しなかったでしょう。

アップルコンピュータ 創業者スティーブ・ジョブス
スタンフォード大学卒業式での祝辞 2005年


ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。
実を言うと私は大学を出たことがないので、これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。
本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ紹介します。それだけです。どうってことないですよね、たった3つです。

私はリード大学を半年でドロップアウトしましたが、実際に退学するまでの間18ヶ月間ほどは大学に居残っていました。
なぜドロップアウトしてしまったのでしょうか?

話は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生だったため、私を養子に出すことにしました。
彼女は、私が大卒者の家庭で育てられるべきだと強く考え、弁護士の夫婦と養子縁組の手配を整えていました。
しかし実際に私が生まれた最後の土壇場で、彼らは女の子が欲しいということになってしまったのです。
そこで夜遅くに、養子縁組待ちのリストにあった両親のところに電話が行きました。「予定外の男の赤ちゃんが生まれました。
養子縁組を希望しますか?」両親は答えました。「もちろん」と。その後、母が大卒ではなく、父は高卒ですらないということを知って
生みの母親は養子縁組の最終書類への署名を拒否しました。彼女が折れたのは数ヶ月後です。

両親が、私を大学に行かせると約束したからでした。これが、私の人生の始まりです。


17年後、私は確かに大学に入学しました。しかし私は、さしたる考えもなしに、
スタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまいました。
労働者階級だった両親の貯蓄はすべて大学の学費に消えていってしまいます。
6ヶ月後、私はそこに価値を見出せなくなっていました。私は、自分が人生において何をしたいのか、
それを見つけるために大学が何の役に立つのか、まったく分かりませんでした。にもかかわらず自分がここにいることで、
両親は生涯かけて貯めた金を残らず使い果たそうとしています。だから私は退学すると決めました。これですべてうまくいくと信じていました。
もちろん、そのときはたいへん恐ろしい思いをしました。しかしふり返ってみると、あれは私の人生で最良の決断の1つだったといえます(笑)。
ドロップアウトしたそのときから、私は興味を持てない必修科目はやめて、それよりはるかに面白そうな科目に出ることができたからです。

もちろん、すべてがいい話というわけではありません。寮の部屋もありませんでしたから、夜は友人の部屋の床で寝て、
コークの瓶を店に返すともらえる5セントを集めて食べ物を買ったりしました。毎週日曜の夜は、7マイル歩いて街を抜け、
ハーレ・クリシュナ寺院に行っておいしいご飯にありつきました。あれは大好きでしたね。
そんなふうに、自分の興味と直感に従って動き回っているうちに出会ったものの多くが、
後からみればこの上なく価値のあるものだったのです。例をひとつ挙げてみましょう。

リード大学は、カリグラフィ教育において、おそらく当時国内最高水準でした。
キャンパス中どこでも、ポスターやら戸棚のひとつひとつに貼るラベルなど、すべてが美しい手書きのカリグラフィで飾られていました。
私はもうドロップアウトしていて普通の授業には出なくていいわけですから、カリグラフィのクラスに出て、
そのやり方を学んでみようと思ったのです。セリフとサンセリフの書体、さまざまな字の組み合わせに応じて文字間隔を調整する手法や、
美しい字体は何が美しいのかなどを学びました。それは美しく、歴史があり、科学ではとらえられない繊細な芸術性をもった世界です。
私は夢中になりました。

もちろん当時は、これがいずれ何かの役に立つとは考えもしなかった。ところが10年後、最初のマッキントッシュを設計していたとき、カリグラフの知識が急によみがえってきたのです。そして、その知識をすべて、マックに注ぎ込みました。美しいフォントを持つ最初のコンピューターの誕生です。もし大学であの講義がなかったら、マックには多様なフォントや字間調整機能も入っていなかったでしょう。ウィンドウズはマックをコピーしただけなので、パソコンにこうした機能が盛り込まれることもなかったでしょう。もし私が退学を決心していなかったら、あのカリグラフの講義に潜り込むことはなかったし、パソコンが現在のようなすばらしいフォントを備えることもなかった。もちろん、当時は先々のために点と点をつなげる意識などありませんでした。しかし、いまふり返ると、将来役立つことを大学でしっかり学んでいたわけです。

繰り返しますが、先を読んで点と点をつなぐことはできません。

後からふり返って初めてできるわけです。
したがってあなた方は、点と点が将来どこかでつながると信じなければなりません。

自分の勇気、運命、人生、カルマ、何でもいいから、信じなくてはなりません。
点がやがてつながると信じることで、たとえそれが皆の通る道からはずれても、自分の心に従う自信が生まれます。

これが大きなちがいをもたらしてくれるのです。
  


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2019年04月18日

こころは一度に二つのことは思えない




心ってものは、苦しまないときは喜んでいるんだ。

人間の心というのは、一度に二つのことは思えない。

苦しがっているときは、楽しがっていることが引っ込んじまう。

楽しがっているときは、苦しがっていることが引っ込んじまう。

両方いっぺんには無理だろ?


※だから消極的な感情が心にわいてきたら断然それを排除する。
 心を汚さないように心がけよう!

中村天風 一日一話より  


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2019年04月17日

出羽の国 


平安の世、この国を統治していた貴族たちもこの美しい鳥海山を見ていたのでしょう




この周辺の地名には「政所」 や 「市条」(もとは一条では) 「大坪」などの条理地名なども残っている。
「本楯」といった城柵に絡む地名もある。


続日本後記には9世紀の出羽の国について興味深い内容が記されている。

八月三日以来、長雨が降り続き、雷電が轟いた。

一〇余日を経てようやく晴天となったが、田川郡西浜に多数の隕石が落ちていた。ここは砂浜で、以前から石は
なかったのに、白・黒・青・赤など、いろいろの石が転がっていた。あるいは鏃(やじり)に、あるいは鉾(ほこ)
に似ている。みな尖った方は西に、根元の方が東に向かっている。故老に訪ねたが、まだこんなものは見たことがないと言って
いる」

朝廷は出羽から送られてきた鏃・鉾ようの石をひとまず外げ き記局に納めた。あるいは天上で神々が戦争を起こ
し、それに用いたものが庄内浜に降ったのかもしれない。地上でもなにか変事が起きないとも限らないと考
え、出羽・陸奥などに戒厳が指令された。翌年七月、朝廷は鳥海山の大物忌神に従四位下を授けた。このときの詔に、

「昨年八月、遣唐船が南方で漂流し、賊と遭遇した。わが方は寡少だったのに、大勢の敵に勝つことができた
のは、天佑神助によったとしか考えられない。この間の事情を推量すると、昨年、出羽国が “大神の雲のうちに、
一〇日間戦争の音を聞いてのち、石の兵器が天上から降ってきた” と言上したのと、時期的に符号している。お
そらく大物忌神が助けてくれたのであろう」とある。

その後の災害や飢饉や蝦夷の反抗などが続くことから、この地に諸国に先駆け陰陽師(いんようし)を置くことが許可された。

  


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2019年04月16日

4月16日の記事


4月16日の鳥海山 庄内の春はとても美しい

出羽の国 国府跡(平安時代・西暦800年頃)の出土品

西暦850年に全国にさきがけ陰陽師(いんようし)をこの地に置いたと知った。
発掘されたものの中に人形代(ひとかたしろ)・唱え文(呪文)を書いた物忌札・墨書土器・等
がある。考えてみると、このようなまじないやまつりごとを司る人たちはいったいいつどこから
この情報を得ていたのだろうか。やはり大自然とつながっていたと考えるほうが夢がある。

いまでいうお医者さんや気象予報士、別の見方をすれば呪術師?!



  


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