2020年11月14日
11月14日の鳥海山 情けは人の為ならずその2
縁もゆかりもない他人様の「いのち」に関わった話
その2
昔の夏の話です。
庄内のとある海岸であさり取りをしておりました。
一昔前は誰もが自由にとることができた時代でもあったように思います。
結構な波がある日でしたが、周りには、海水浴などしている人もいたように記憶しています。
浜辺に上がり休憩しておりますと、焦った顔をした人が近づいてきて
「助けてくださいおぼれている人がいます」というではありませんか。
ウェットスーツを着ていましたのでいかにも助けることができるように見えたのでしょう。
見ますと、30mほど沖に頭が2つ浮かんだり沈んだりしているのが見えます。
まず、「警察と消防に電話してください。」と頼みました。
仲間の一人はすぐさま海に飛び込み向かいました。
近くに漁具だと思える長いロープを見つけましたので近くにいる人の浮き輪を借りて
そのロープに縛り付け、浮き輪をもちロープを浜にいる人に持たせ、私も後を追って向かいました。
奥の方にいる一人は沖に流れる潮の流れに乗ってしまい、みるみる流されていきます。
少し手前にいる一人にかろうじて追いつき浜辺側に誘導しながら浮き輪までたどり着くことができました。
後は、浜にいる人たちに引っ張ってもらい一人は助けることができましたが、もう一人は間に合いませんでした。
しばらくして警察の方も見えていましたが、なすすべもなく、ただ見ているだけでした。
目の前で、助けたくても助けられない、人が流されてゆくという無力感を味わいました。
二人とも若い学生さんでした。
そのまま、疲れ果てて海を後にしました。
約1週間後、、ニュースでご遺体が数十キロ離れたところで見つかったことを知りました。
あと少し、紙一重のところだった。
後日談として、どこの誰が私たちの素性を伝えたのか知りませんが、人命救助に対しての感謝状を差し上げたいと警察から電話がありました。
私は丁重にお断りしました。目の前でおぼれ流されている姿を見ているのに喜んでられるかと。。
私とともに助けた仲間はいただいていたようですが。
Posted by asone at
17:04
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2020年11月13日
情けは人の為ならず
11月12日の鳥海山
縁もゆかりもない他人様の「いのち」に関わった話
その1
はるか昔の話です。
私は当時神奈川県横浜市に住んでおりました。
その日は台風が関東を通り抜けようという日でした。
私と男友達3人は、マリンスポーツをやっておりましたので、台風のうねりを目当てに
鎌倉、藤沢方面へ向かうために車で横浜横須賀道路を南下していました。
朝の相当早い時間です。
台風の影響が残る豪雨のあとでした、自動車専用道路を走っておりますと土砂崩れのがれきが目の前に現れました。
土砂崩れだけでなく家が壊れて1軒崩れ落ちていました、
幸い道は通れるぐらいの幅は残っておりましたが、勇敢な若者4人は車を路肩に止めて、
「これは人命救助だべ」と・・・行動したのです。
今のように携帯電話とかありませんので、最前列にいたため行動に移したように記憶しています。
「誰かいますか?」と土砂まみれのがれきで声をかけていますと、かすかな女性の声が聞こえました。
気づいたら私たち4人以外にも人が集まり7~8人ぐらいはいたと思います。
みんなで集まりがれきをとり除きパジャマ姿の初老の女性を助け出しました。
女性は上半身泥だらけで、口の中まで泥が入っていました。
安全な道路のアスファルトの路面まで助け出しました。
今でも記憶にあるのは、まだ小雨が降っている中、濡れた道路のアスファルトに座ったまま水たまりで顔の泥を洗う女性の姿です。
「ありがとうございました」と何度も何度も頭を下げながら言っておりました。
助け出した人の中に看護師さんがいて、救急車を待つより私が病院まで連れて行きますと、自分の車に乗せて送っていきました。
家の中に他にご家族はいないという事でしたので、私たちもその場を去りました。
車に戻ると足の裏が痛い、4人とも足の裏が痛いと言い出したのです。
壊れた建物から出ている釘をふみつけていました。しかし必死な思いは、痛みなどお構いなしにがれきを取り除いていたわけです。
靴を脱いでみると靴下が血だらけでした。
他人様のいのちに関わった20代の思い出です。
Posted by asone at
22:25
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