2022年06月22日

感通作用の練習





精神機能と感通作用の練習


テレパシーの実際的修練について、「研心抄」には次のようにあります。


この感じという微妙なものは、これを経験したことのない人にはこれこれのものだと、

言葉や文字で説明することは到底不可能のことではあるが、まぁしいていえば、

たとえば他人の名前や住所を度忘れしていたのを不図想い出した時のような「感じ」

と、甚だよく似てるといえる。



また、思念者と受念者と最も心的調子の合った人同士が練習することが聡明な用意であるとも記載されています。


そこでたとえ調子のよく合った人と収練する時でも、ここに大抵の人の一寸気のつかない有効な準備注意がある。

それは何かというと実験にとりかかるに先だち、思念者と受念とが呼吸の合一を行うことである。

すなわち一分間ぐらいの間両者の呼吸を合わせるのである。

吸う吐くという順序をリズミカルにぴったりと合わせ、それから練習に入る。



また加えて次のようにある。

神経反射の調節法として「真人生の探求」書中に記述してあるクンバハカ密法を両者ともに行い乍ら行えば

一層効果を高める。



こころの統御ができるようになり、精神統一が理解できるようになったら・・・・












  


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2022年06月16日

6月14日のストロベリームーン


6月14日の月 ストロベリームーン



     真の人間性は


     自然状態にある


     自然人においてこそ


     花開いている


     知の巨匠・ジャーナリスト・作家   立花隆



   どうも人間の造ったものはどれも、どこか大自然との調和という点からみると違うように思えてなりません。

   how to を学び終えたら、
   
   人生哲学は机の上で学ぶものではありません。


   人生哲学は自らの人生を通じて学び、実践し、気づきを得ていくものだと思うようになりました。



  

   

   

   
   
  


Posted by asone at 17:26Comments(0)

2022年06月09日

6月9日の鳥海山 師の教え「こころの境涯」






中村天風先生の哲人哲語によると

人間の心はね、その働きの上から哲学的に言うと

「実我の境」、「仮我の境」の二つの境涯があるんです。

肉体の五感を超越して働いている境涯が実我の境。

肉体の五感とともに働いている境涯が仮我の境。

とあります。




2016年の私のノートから 師の教え  


仮我の境には

順動仮我の境(相対積極)明るく・朗らかに・活き活きと・勇ましく
逆動仮我の境(消極感情)恐れ・怒り・悲しみ・・・・・・・・・・・・


実我の境には

有意実我の境・・不動・・霊性心・安定打坐の境地

無意実我の境・・睡眠・・エネルギーの補給・無意無我


逆動仮我の境から順動仮我の境への矢印には「勇気」とあります。


用語は難しいのですが、これを理解して実生活に活かすのが行修そのものです。


結果としてこころに対する施しや整え方がわかるようになります。
そして源に近づいていくようになります。

  


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2022年06月08日

6月8日の月


6月8日の上弦の月


立花隆さんの生き方の10ヶ条

1 ナイーブさと賢さを同時に持て
2 ニッチを発見せよ
3 自分の欲求と能力を知るべし
4 価値体系が「自分」を作る
5 世俗的な成功を求めるな
6 生き方の美学を作れ
7 バックグラウンドを踏まえてものを見よ
8 人生の残り時間を意識せよ
9 走って走って走り続けろ
10 失敗は必ず起こる。それを隠さず、それに負けない強さを持て





舌切り雀の物語から

心の浄化とは理屈では説明しようがないように思います。

やはり実践として行動し続けることから、こころの変容が起きていくのではないでしょうか。

「舌切り雀」の物語に出てくるおばあさんの例は、誰にでもそうなりそうな一面があります。

ヨーガ哲学や宇宙真理と称する哲学を学び始めると「なるほど」と思えることがたくさん出てきて、

心の浄化が伴わないのに「世のため人のため」だからという思いで似たような行動に移そうとします。

しかし、いわゆる潜勢力といった宇宙からの恩恵をさほど受けることはありません。

哲学がそのように説くのであればまずやってみようといったレベルでは、奇跡的な出来事はまず起きることはありません。

それは、どこかで何らかの見返りを求めてしまっているからです。

例えば、こういうことを行っていれば人生が好転するだろうとか・・・

○○して差し上げたという自己満足に浸る・・・・

自らのいのち、身体、時間、物質的なものを犠牲にしてまでもはたして尽くしきれるか・・・

表面的な人間関係やビジネスの世界では通用しても、宇宙の営みの中で現れてくる「ギフト」とは別物です。

本当に何も見返りを求めない純粋な施しは、宇宙と共鳴しどんどん現象化の道が開けてきます。

まちがいなく・・・












  


Posted by asone at 22:27Comments(0)

2022年06月02日

キャンプ場の景色






新緑というより初夏の人気のキャンプ場


言葉というのはとても微妙で、発信する人と受け取る人では大きな齟齬を生んでしまうことがよくあります。

「 考える前に感じ取れ!、考える前に感じるまま行動しろ! 」 (いわゆる本能心からくるものに従うことではありません。本心良心の方です。)

※おなかがすいたから何か食べるということを言っているのではありませんので誤解のないようにしてください。

これが最近の私自身の心身に対する施しです。

心の純粋性は、「素直さ」として現れます。

懐疑心に満ちた心は推理推測に思考を使い、人間の純粋性を認めようとしない「性悪説」に近い考え方です。

人間関係の中で、その言動から受け取るものを、考える前に感じ取るように心がけています。

この説明もわかりにくいのですが、感覚的に受け取る割合を高くして、考える割合を極めて少なくするように心がけているとでも言えばよいでしょうか。

そうしますとだんだんといろいろなことが透けて見えてくるようになります。










  


Posted by asone at 11:15Comments(0)