2023年05月24日
宮沢賢治 「春と修羅」より
緑色が輝く季節 木々は活き活きとしています
宮沢賢治 「春と修羅」 より
私といふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈のひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
宮沢賢治の一見難解なこの詞は「生命の実相」を
たとえて書き示しているのだと思えます。
人間の生と死を考えるとき、
よく「生かされている」、というようなことを目にしたり、聞いたりします。
どんなことも理屈より体験や経験が何よりも説得力があります。
私の「生かされている」と感じた体験をいくつか書かせていただきます。
(簡単に言うと死にそうになった体験ということです)
今から10年ほど前のこと、車で東北地方の高速道路を走行している時、うっかりしていたのか、
荷物を積んでいたので重さが影響したのか、パンクしたのか、よくわからなかったのですが、
急に車が蛇行しはじめて、ハンドル操作では立て直すことができなくなりました。
高速道路なので100㎞程の速度で走っていたと思います。
車は左横のガードレールに接触して、その反動でこんどは右側に大きくUターンするように動き、
逆さまになって車は止まりました。車は天地が逆になってタイヤが上にある状態です。
意識はありました。
われに返って目に見えた景色は蜘蛛の巣状になったフロントガラスと目の前にある携帯電話でした。
すぐにオイルか?ガソリンか? 独特なにおいに包まれました。
このまま燃えたら・・・・・・・ ものすごい恐怖心がわいてきたのです。
運転席側のドアはつぶれて開きません、砕けた窓を右手の肘で割り何とか脱出できました。
後続車のことが気になりました・・・・他人様に迷惑をかけてしまいかねないと。
そのとき後続車の一台が止まり、その場で発煙筒を焚いてくれました。
そうだと、私も自分の車の発煙筒を取りだし、後続車に合図を送るために少し先まで歩いて、
もう一本できるだけ遠いところにと思い発煙筒を焚きました。
路肩に立ちながら携帯電話で110番をしようと操作してみて手が血だらけであることに気づきました。
後続車が徐行して私を見て、「大丈夫ですか」と声をかけてくれました、顔が血まみれだというのです。
われに返りました。
そういえば、頭がやけに熱いのです。どうも頭から出血しているようでした。
続く・・
Posted by asone at 22:12│Comments(0)