2021年11月29日

原因と結果の法則



近所の工場にお目見えの Xmasツリー 晴れた日の夕方はとてもきれいです。


気高い思いは,自制の利いた穏やかな生き方として、続いて平和にあふれた静かな環境として姿をあらわします。

清らかな思いはそのすべてが慈愛と思いやりに満ちた生き方として、つづいて明るい快適な環境として姿をあらわします。

勇気と信念に満ちた思いは、速やかに決断し行動する生き方として、つづいて自由と成功と豊かさに満ちた環境として姿をあらわします。

活気にあふれた思いは、前向きで積極的な生き方として、つづいて喜びに満ち溢れた環境として姿をあらわします。

好意的で寛容な思いは、優しさにあふれた生き方として、つづいて安全と安心に満ちた環境として姿をあらわします。


原因と結果の法則  ジェームズ・アレン  サンマーク出版


私たちは都合よく、力づくで境遇を変えることはできません。

(※この本では環境という表現を使っていますが、むしろ境遇という方が適切なように思います。)

しかし、修練によって自分のこころの感情や思いは上手にコントロールできるようになります。

それが、境遇改善の大きなヒントになります。  


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2021年11月27日

「こころが源」


 庄内の冬は鉛色の空の色と海からの強風 



「密かにめぐらしつづけている思いが、境遇としてその姿を明確にあらわす」


動物的な思いは自制の利かない肉欲的な生き方として、つづいて貧しさや病気に満ちた環境として姿をあらわします。

あらゆる種類のけがれた思いが、活力を欠いた混乱した生き方として、つづいて苦難に満ちた、不愉快な環境として姿をあらわします。

恐怖や疑いに満ちた思いは、優柔不断で臆病な生き方として、つづいて、失敗や困難に満ちた環境として姿をあらわします。

怠け心は不潔で不正直な生き方として、つづいて汚れた貧しい環境として姿をあらわします。

敵意に満ちた意地悪な思いは、つねに他人を非難する生き方として、つづいて不安と恐怖に満ちた環境として姿をあらわします。

あらゆる利己的な思いが、身勝手な生き方として、つづいて敵ばかりのいる環境として姿をあらわします。



「原因と結果の法則」 ジェームズ・アレン  サンマーク出版



  


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2021年11月24日

Taoism 道(タオ)




【第14章】

視之而弗見、名之曰微

之聴而弗聞、名之曰希

揩之而弗得、名之曰夷

三者不可致詰

故混而為一

一者、其上不謬

其下不忽

尋尋呵不可名也

復帰于無物

是謂無状之状

無物之象

是謂忽恍

随 而不見其后

迎而不見其首

執今之道

以御今之有

以古始

是謂道紀


老子 「道徳経」 より
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五感でなんか確かめられないものこそ本当の実在なんだ。

微小すぎるものはいくら見ようったって見えない。

あんまり幽かな音というのはいくら聞こうったって聞こえない。

滑らかすぎる表面は触ったって感じない。

この三つの微妙きわまる状態は微細であるだけに、融けあえるものだ。

そしてこの三つが一つに溶けあっている空間・・・・・

それは無か空に見えるけども充実したもの、

もっとすごい実在といえるものだ。

そこはかぎりなく昇ったって ただ明るいだけじゃないし

かぎりなく下へ降りたって ただ真っ暗じゃあない。

すべてが絶え間なく連続し、変化し、動いていて、

やがてはあの名のない領域に戻る。

そこには形のない形だけがある、無いものだけが在る。

すべて捉えがたい抽象だと言えるところだ。

そいつの後をついて行っても背中は見えないし

前に廻ってみたって 顔つきなんかわからない。

そいつをどうやったら摑まえられるかだって?

まあ、今の自分の中に、そして萬物のなかに、

タオが働いていると感じることだよ。

それは、太古のときから伝わってきていると想像する。

すると道(タオ)の全体像が現れてくるだろう。


「タオ 老子」 加島祥造 ちくま文庫 より







  


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2021年11月22日

「こういうのは、思いを込めるんです  思いとは愛なんです」


11月21日の鳥海山



TV東京 日本に行きたい応援団 より


足袋を作る過程の作業を通じて

「 こういうのは、思いを込めるんです

               思いとは 『愛』 なんです 」


TV東京 日本に行きたい応援団 より   足袋職人 大橋さんの言葉




鐘の音が聞こえたら、それはいつでも「呼吸に気づきなさい」という合図です。

ときに私たちはマインドフルネスな呼吸を忘れ、自分の考え、これからの予定や

心配事にこころを奪われます。

鐘の音は、「今、ここ」という本来の家に帰りなさいと呼びかける、

内なるブッダの声なのです。

マインドフルネスの実践とは、何よりも、今ここに私たちの真の存在をつくりだすということです。

そのとき全てがリアルになり、生き生きとしてきます。

食事中に時々鐘が招かれることがありますが、

それは私たちに喜びを与える音です。

それを聞いたときは、今ここに意識を戻し、目の前の食べ物とまわりのサンガに気づいてください。


「 リトリート ブッダの瞑想の実践 」 ティク・ナット・ハン  野草社  より



換言すれば、曰く我の存在は常に現在以外にはないのである。

従って厳格に評論すると過去もまた未来も全然一の空劫に過ぎないもので、

只あるものは終始現在のみであるといえる。

「安定打坐考抄」 中村天風  公益財団法人天風会 より








  


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2021年11月17日

11月17日の鳥海山 : 師の教え「生活の行修化」


11月17日の鳥海山  秋晴れ・・・ 鳥海山の雪もずいぶん下まで降りてきました
 

<私>とは誰か。

<私>とはいったい何なのか。

あらゆるものが解体されて全てが無に帰した時、

ただ<それ>だけがある。

はじめから建物は存在していなかった。

そこは、天国と呼ばれている場所であり、

完全なる平和と至福である。

それが<私>である。

しかしながら、『それが私である』という表現は正確ではない。

なぜなら、たどり着いたその瞬間、

<私>は消滅するからである。

旅をしてきたのは<私>だった。

旅がない時、<私>もまた無いのである。


「"それ”は在る」 ヘルメス・J・ジャンプ


師の教え

「行修の生活化」が「生活の行修化」に変わる時、

ステップアップしたことになる。


  


Posted by asone at 18:07Comments(0)

2021年11月11日

瀬戸内寂聴  「愛する言葉あなたへ」より




私たちはひとりひとりが常に目に見えない大いなるもの、

神とか仏とかいうものに許され生かされているのです。

そのことに気付き感謝を忘れぬようにしましょう。

お釈迦さまはなくなる時「この世は美しい、人の心は甘美である」

とおっしゃいました。

この世は苦だと認識されながら、こんな美しい言葉を

私たちに残してくださいました。

この甘美なこの世で、私たちは幸福になる権利があるのです。

人を愛し、思いやり、許し、許されて幸福に生きましょう。


瀬戸内寂聴  「愛する言葉あなたへ」 光文社 より




仏教や宗教のことはよくわかりませんが、その言葉には人を引き付ける何かがありました。

ご冥福をお祈りします。

  


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2021年11月09日

師の教え「何かわからないものに活かされている」


11月7日の朝日


今日は1か月ぶりに先生の安定打坐、受けてまいりました。

どんな言葉による教えよりも、生身(生の心)に受ける霊妙な教えそのものです。


師の教え

「何かわからないものに活かされてる」

生きてる、生かされている、という言葉との違いが哲学そのものです。


先生は今日も「積極」のことを「セキギョク」とおっしゃっておりました。

単なる「消極」との対比語ではないとも。

この違いを学べることはありがたいことです。









  


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2021年11月08日

11月8日の鳥海山  大川周明 庄内の偉人


庄内平野から望む鳥海山

こちらは朝日と月山




2020年5月のブログ記事をご覧ください。(大川周明資料展は終了しています)
http://asone2.n-da.jp/e819921.html


大川周明の東亜経済研究所における訓示から

アジアの赴任地において日本人としてのあるべき姿を説いた「正直・親切」とは。


正直:己を欺かず、人を欺かず、天を欺かないことである。

親切:誠実と慈悲をもって人に接することである。



  


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