2019年11月07日
鳥海山の冠雪 「日本の弓術」 11月7日
オイゲン・へリゲル博士は昭和のはじめ 東北帝国大学にて5年間教鞭をとった。
日本に滞在することにより、日本の文化に触れようと弓道を習い始める。
通訳を通じ,同じ仙台に住む阿波研造師範に出会う。
ヘリゲルは阿波の道場に通い弓道の技法ではなく、弓道の持つ精神性・本質に触れ始める。
阿波:「あなたは無心になろうと努めている。つまりあなたは故意に無心なのである。それではこれ以上進むはずはない。」
ヘリゲル:「少なくとも無心になるつもりにならなければならないでしょう。さもなければ 無心ということがどうして起こるのか私にはわからない」
阿波は途方にくれる。
ヘリゲルが的に当てるためにどうしたらよいか聞くが、阿波は的を狙うなという。
阿波:「その狙うということがいけない。的のことも,当てることも、そのほかどんなことも考えてはならない。弓を引いて矢が離れるまで
待っていなさい。他のことはすべて成るがままにしておくのです。」
そう言って阿波は手本をみせる。
弓を執り放射した。矢は的の真ん中にとまっていた。
「私のやり方を良く見ていましたか、仏陀が瞑想にふけっている絵にあるように、私が目をほとんど閉じていたのを、
あなたは見ましたか。私は的が次第にぼやけて見えるほど眼を閉じる。すると的は私のほうに近づいてくるように思われる。
そうしてそれは私と一体になる。これは心を深く凝らさなければ達せられないことである。」
矢は有と非有の不動の中心に、したがってまた的の中心に在ることになる。
ドイツ人ヘリゲルには阿波の言うことが全く理解できないでいた。
しかし・・・ ②に続く
「日本の弓術」より引用
Posted by asone at
08:14
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